第46回ゴー宣道場
「『新戦争論1』と戦後70年」
は、満員の参加者とともに、
有意義な議論を展開して終了しました。
門弟の感想をご紹介します!
今回の道場はライジングやゴー宣道場ブログ、
新戦争論1で知った今の日本が置かれている
危機をよりハッキリとわからせてくれました。
新戦争論1で知った今の日本が置かれている
危機をよりハッキリとわからせてくれました。
本当にヤバい状況だということ、
そしてそれはまさしく今すぐにでも
自分の身に起こり得る危機だと感じました。
何度も思うことですが、
日本が本当に危機的状況に陥っているのに、
それを議論する場と言うのが
ゴー宣道場にしかないということが残念です。
日本が本当に危機的状況に陥っているのに、
それを議論する場と言うのが
ゴー宣道場にしかないということが残念です。
マスコミは人質事件でも表面的なことしか報じず、
なぜこのような状況になったのか?
国民に考えることさえさせません。
なぜこのような状況になったのか?
国民に考えることさえさせません。
と言っても、今はそれをすれば
政府から批判される状態ですからより最悪です。
政府から批判される状態ですからより最悪です。
今は完全に「戦前」だということを確信しました。
これからは当事者意識を上げて、まず家族を守りたいと思います。
とりあえずできることとして
「新戦争論1」を周りの人に薦めたいと思います。
「新戦争論1」を周りの人に薦めたいと思います。
2冊目のサイン本を買ったので1冊は人に貸します。
(リラリラックマさん)
(リラリラックマさん)
もう1本、『新戦争論1』の感想を
ライジングコメント欄からご紹介!
『新戦争論1』読みました。
漫画でのゴー宣スタイルは『AKB48論』で最後なのかな?
と思っていましたが、まさか剛速球ド真ん中ストレートの
ゴー宣(それも戦争論!)がまた読めるとは感激です。
漫画でのゴー宣スタイルは『AKB48論』で最後なのかな?
と思っていましたが、まさか剛速球ド真ん中ストレートの
ゴー宣(それも戦争論!)がまた読めるとは感激です。
全編通して興味深く読みましたが、
特に印象に残ったのは国と公の違いが描かれた第22章です。
「国と公はズレることが多い」。
ポチウヨにしろリベサヨにしろ
彼らの言葉が全く響いて来ないのは、
連中がやっているのは全て「国論」どまりであって
「公論」がごっそりと抜け落ちているからではないか、
と読んでいて思いました。
歴史的な縦糸と地域人間的な横糸で紡がれる公感覚がなく、
点としての国感覚しかないからいつも脊髄反射で
場当たり的な迷走状態に陥るのではなかろうかと。
ネトウヨに代表されるテクニカルな国論(国策論)ばかりの
人間がつまらないのも、大前提としての公論を
すっ飛ばしているからではないかと。
「国と公は必ずしも一致しない」というのは、
阪神淡路大震災の追悼式に出席された両陛下と、
同日に中東へ営業外交に出掛けるという、
国感覚しか宿していない安倍首相の差にも
歴然と表れているように思います。
国論しか持たないからビジネス優先になるんでしょうね。
原発維持も米国追従も左翼がやってる反国家も、
全て国論の範疇でしかなく公論が射程に含まれていない。
よしりん先生と右派左派の話が噛み合ない原因も、
公論と国論のズレから生じているような気がします。
国論しかなければ、来し方が無いから行く末も無く、
土着した公共が無いまま指針なく
世界の奔流に揉まれ続けるしかないのではないか?
土着した公共が無いまま指針なく
世界の奔流に揉まれ続けるしかないのではないか?
そんなことをつらつら考えさせられました。
以降の続編も期待しております。
(カラスさん)